先日、CNNで「ブラックフィッシュ」というドキュメンタリーを観ました。
シーワールドなどで行われているシャチのショウなどを批判する立場の映画だったんですが、犬との共通性もいくつかり、動物と暮らすことについて考えさせられました。
興味深かったのが、2010年のシーワールドでの事故の寸前のシャチの行動でした。イルカなどの訓練には笛を使いますが、クリッカートレーニングと同じ方法が使用されています。
手をふる芸をうまく決めてたティリカム君、そこで笛がなって、ご褒美のはずだったんですが、笛が聞こえなかったようで、ご褒美をもらい損ねる。その後、望まないことをやったのでご褒美なし。この時点で、ティリカム君も「なんでやねん」ってイライラをつのらせたようでした。その時、トレーナーもご褒美の魚が底をつきはじめ充分なご褒美が与えられなくなっていました。(私も時々あります。ご褒美の価値をあげないといけないときにトリーツがなくって、小さくしてあげないといけなかったり。)
ティリカム君は元々攻撃的な性格だったそうですが、アタックにいたるまで、こういうことがあったんだ。もちろん、シャチのような大きな野生動物をプールに入れて曲芸をさせるってことは日々虐待だと思うので、ご褒美のもらいそここね以上の問題はあるとは思いますが、ご褒美もらえなかったことで切れちゃうことは容易にある得ることだと思います。
曲芸賛成派の中には、訓練には陽性強化のみが使用されていて、動物側の自発的な意思があってなりたっていることなので、無理やりじゃないことを主張しているいる人もいました。
捕鯨OK派の私でも、シャチやイルカのショウをモラル的に正当化するのは難しいと思いました。プールから自分の意思で出れないのに、曲芸が自発的と呼べるだろうか。ペットを飼うことも同じ。犬を飼うことは、家族として共に暮らす場合のみに正当化されるじゃないかと思いました。
うちでは、おっさんが初日からクレートに猛反対したので、クレートなしです。大概はじめの1ヶ月はクレートの使用が奨められているので、不安でしたが、クレートなしでも何も問題が起こらなかったので、結果として、クレートなしでよかったと思いました。
じゃ、犬にアジリティさせることは?ということになりますが、ちょっと私のエゴもあって、犬自身が楽しんでいればOKとしています。これを曲芸ととるか、エンリッチメントと解釈するかはいろいろ意見はあるでしょうが、犬の場合、人と一緒に仕事することを好むように強化されてきたという歴史があるので、野生動物に曲芸させるのとは異なると考えます。
少なくとも、ココは私たちと家族であるという感情を持っていると信じたい。
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